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  • 執筆者の写真音まち千住の縁

アサダワタル×山川冬樹「会えない日々と、気配のゆくえ」

更新日:2021年8月27日

アートライター=白坂 由里


アートアクセスあだち 音まち千住の縁

アーティスト・クロストーク《オンライン》#03「会えない日々と、気配のゆくえ」


ゲスト:

アサダワタル(文化活動家・アーティスト)

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山川冬樹(現代美術家・ホーメイ歌手)


モデレーター:

冨山紗瑛(東京藝術大学 大学院国際芸術創造研究科修士課程 熊倉純子研究室)

LanaTran(東京藝術大学 大学院国際芸術創造研究科博士課程 熊倉純子研究室)



離れていても、音や声で人々をつなぎ、失われゆく多様性に抗う


 「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」10年目を記念してオンラインで開催される「アーティスト・クロストーク」シリーズの最終回が、2月11日(木・祝)に「仲町の家」から配信された。音まちで「千住タウンレーベル」「声の質問19」のディレクターを務めるアサダワタルが現代美術家・ホーメイ歌手の山川冬樹を迎えて、2019年からのコロナ禍で人と人との接触が制限され、音や声・音楽を媒介としたプロジェクトの活動がままならないなか、どう過ごし、どう考えてきたかを語り合った。



右から山川冬樹、アサダワタル、「音まち千住の縁」事務局スタッフLana Tran(東京藝術大学 大学院国際芸術創造研究科博士課程 熊倉純子研究室)、冨山紗瑛(東京藝術大学 大学院国際芸術創造研究科修士課程 熊倉純子研究室)




素通りされてしまいそうな声や音を響かせるアサダワタル


 まずアサダワタルの活動紹介からパネルトークが始まった。アサダは、これまでにない不思議なやり方で他者ならびに自己と美的に関わることを「アート」と捉え、地域の生活現場や福祉の現場などに入り込みながら、ともに文化活動を行っている。


 いわき市小名浜にある県営復興団地「下神白(しもかじろ)団地」では、音楽と対話のプロジェクト「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」を2016年末から行っている。東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で双葉郡4町(富岡町・大熊町・浪江町・双葉町)から移住した人々が6棟に分かれて暮らしている下神白団地。その住民と、かつて住んでいたまちの記憶について馴染み深い音楽を手がかりにしながら対話をしていき、そのことを収録したラジオ番組を製作し、CDの形にパッケージングして団地限定で約200世帯に手配りしている。さまざまな人がとても個人的な話をし、まちの記憶が音ともに浮かび上がってくるなかで、『青い山脈』などの「メモリーソング」が集まってきた。それと連動して、関東圏からミュージシャンらを公募し、「伴奏型支援バンド(BSB)」を結成。「2019年12月には、歌声喫茶のようにBSBがバック演奏をし、住民さんに歌ってもらうイベントも行いました。コロナ禍以降は、バンドの音源を聴きながら住民さんに各ご自宅で歌ってもらったコーラスと、BSBの演奏を重ねてミュージックビデオをつくったり、オンラインで僕やバンドメンバー、住民さんとで交流したりしてきました」とアサダは語る。



「ラジオ下神白」




 音まちでは2016年、音楽をリリースする感覚と場づくりを合わせた「千住タウンレーベル」を立ち上げた。公募で集めた音の記者「タウンレコーダー」たちが千住エリアで音を録音し、オリジナルアルバム『音盤千住』をリリース。レコードと地図を持ってそのトラックが生まれた場所で聴くレコ発企画「聴きめぐり千住!」などを開催してきた。



千住タウンレーベル 『音盤千住』レコ発企画|「聴きめぐり千住! 」(撮影:冨田了平)



 山川がアサダを知ったのは、サウンドメディアプロジェクト「SjQ/SjQ++」のドラマーとして。2013年には新宿ロフトプラスワンのトークで共演した。そのときアサダの「DJ話芸」を見て小沢昭一的なものを感じたと語る。確かにアサダは大学生の頃、日本の放浪芸を収録した小沢昭一の膨大なシリーズに感銘を受けていたという。廃校の校歌を伝承するためのカラオケ映像をつくったり、障害のある方と共に表現活動をするアサダの活動を、山川はこう語る。

 「アサダさんは音や音楽そのもの、音がある場を、ミュージシャン的視点を超えた社会的な視点で見ていて、その視点をもって社会にコミットしていく。社会のなかでノイズとして排除されてしまうかもしれない、異なる属性をもった存在を等価に扱い、それが鳴り響く場所をつくろうとしている。それは、セクシャリティの悩みを抱え、音楽をのなかであらゆる人々が等価に尊重される場をつくろうとしたジョン・ケージの活動にも通ずるところがあると思います」。



「記憶」の追体験を人々に受け渡していく山川冬樹


 一方、音楽と美術の両域で活動する山川冬樹は、各地の芸術祭やアートプロジェクトにおいて、その地域のリサーチをもとに音や身体を使ったパフォーマンスなどを発表している。今回は「ディスタンス」に関わる一例を紹介した。

 

 「瀬戸内国際芸術祭2016」以降、大島に通い制作することをライフワークとしてきた山川。大島は、島のほぼ全体が国立ハンセン病療養所である。ハンセン病とはらい菌によって引き起こされる細菌性の感染症であり、患者は世界中で差別を受けた。日本では明治期の文明開化の陰で、患者の強制隔離と絶滅政策(断種、堕胎)が行われた。戦後に特効薬が開発されて回復しても、1996年にらい予防法が廃止されるまで隔離が続く。現在は自由に島から出ることができるが、社会に偏見が残っている、故郷に身寄りがないなどのさまざま理由で、大島で暮らす回復者は49人(令和2年5月1日現在)。高松港と大島を結ぶフェリーは園の関係者以外は許可を得なければ乗れない官有船であったが、瀬戸内国際芸術祭をきっかけとして2019年には観光客も乗船できるようになった。



《海峡の歌/Strait Songs》



 山川は、2019年、四国本土の庵治(あじ)町から大島に向かって約2キロを泳いで渡るパフォーマンス映像《海峡の歌/Strait Songs》を発表。大島の歌人が詠んだ短歌を庵治の子どもたちが朗読した声が流れる。山川は「遠吠えとは精神が肉体を置き去りにして、距離を隔てた誰かのもとへ飛んで行こうとする力が声になって現れたものです」で始まるステイトメントを読み上げた。海を渡ろうとして亡くなった人々。四国本土から大島を見たとき、大島に生きた人たちの遠吠えが聞こえてくるように感じ、その声に応えるべく海を渡ったという。



《海峡の歌/Strait Songs》



 展示会場では、山川視点の映像と、大島の海岸から庵治に向けて捉えた映像が背中合わせにインストールされ、同期しながら再生されている。反対側の映像を見るには建物を出て逆から入り直さねばならない。物理的隔たりと相対するまなざしを空間で表現し、恒久設置となった。

 昨年からのコロナ禍で「呼吸をするために通っていたような大島」に行けなくなってしまった山川。葛藤のなかで、「大島では、絶望に屈することなく、自由の発露と己の尊厳の回復を創作や文化芸術に求め、文学や絵画、音楽、舞台芸能、放送劇などが生み出されてきた。人はなぜものをつくるのか、文化芸術活動とは何かを僕らに教えてくれている」と強く感じている。

 そんな山川をアサダは「歴史的な出来事を個人でどう引き受けるか、体を通じて形にするときに、他の人も体験できるように構造化されていて、そこを受け止めた人たちが何を起こしていくのか、伝播していく印象を受ける」と語った。人と人とが接触できない現在、体験を受け渡していく機会をどのようにつくるかが両者にとって切実な課題であることがあらためて感じられた。




「新しい生活様式」で変わりゆくもの/境界線の反転


 続いてクロストークは、「コロナ禍の状況に疲れてきた」というアサダの率直な言葉から始まった。


アサダ 大学で一度リアルに授業をしたら、みな待ってましたとばかりにいきいきとしてました(笑)。その日の昼、定食屋でご飯のおかわりが機械化されていることにもびっくりして。それまでは炊飯器を開けて自分でよそっていたんだけど、コロナ禍が終わった後もこのシステムは続くよなと。些細な例だけど、自分でやっていたことが機械化されて、それに慣らされていくなかで失うものがあるなと思って。


山川 最初の緊急事態宣言のときはまだ新しい状況を実験しながら楽しんでいるところもあったけれど、常態化してきて嫌になってますね。会えない間に大島で親しくしていた方が亡くなってしまうこともあるかもしれないし。いまメディアで「隔離」という言葉が使われていて、回復者の方達もおっしゃってるけど、グサッとくる重い言葉なんですね。さらに「自主隔離」という言葉も出てきてからは、隔離の境界線が内と外で反転したような感覚があります。


アサダ 下神白団地の住民さんとは、オンラインでやりとりは続けてるんですけど、オンラインだとその方の家とつながるという目的だけになって、団地に通っていたときの、誰かに会ったり、集会所から音が聞こえてきたりといった間(あいだ)の偶然性がなくなってしまうんですね。それでも、いわきでプロジェクトを支える現地チーム「一般社団法人Teco」のスタッフが現場に通ってくれて、そこでパソコンを立ち上げてくれたからオンライン訪問ができていたんだけど、2回目の緊急事態宣言では彼女たちも入れなくなってしまったんです。


山川 僕は「グランギニョル未来」(山川冬樹、椹木野衣、赤城修司、飴屋法水)というグループで福島の帰還困難区域にも行っています。かつて東京電力福島第一原発の事故で放射性物質が風によって東京にも拡散し、福島の人々は差別を受けたわけですが、今度は逆に東京から出向いた自分がウイルスを拡散してしまわないか……マスクをしているときにもやはり境界線が内と外で反転したような気になりますね。




離れていても声を届けないと人間は生きていけない


 やがて話題は、両者の活動に共通する「声」の話へと移っていった。


山川 声って重要ですよね。それは単に口から出る音ではなく、音声のまわりにまとわりついている呪われた部分であって、気配そのもの。


アサダ 書には意味と感性が両方入っていますよね。その造形美と意味とともに、書いた人を感じる。空気の振動が伝わる。会えない状況で質感を含めたコミュニケーションが大切になっていくと思います。


山川 大島の方に手紙をいただいたとき、内容以前に手紙そのものが既に メッセージを持っていると感じて、まさにメディアだなあと。言葉を紡いで紙に書いて、芸術がどうという前に、人が表現してそれを伝えることの根源を思い出させられました。そうやって届けられる言葉は、一つの意味に回収されずにいろんなイメージに結びつくし、身体感覚を喚起するし、抽象的な思考を駆り立てる。言葉がすべて論理的なことを表すように考えがちだけれど、もう一度、言葉の身体性や抽象性をいかに回復できるかが重要だと思いますね。


アサダ 2020年秋以降、「仲町の家」で、録音された僕が語る質問に答えてもらう「緊急アンケート《コロナ禍における想像力調査 声の質問19》」を行っています。普段、自分が誰かに語りかけて自分の声を意識することってあまりない。マスクをすることで口の形が見えないとか、声にまつわる現象が失われていくなかで、意識的に声を発する場をつくっています。



「緊急アンケート《コロナ禍における想像力調査 声の質問19》」



山川 Zoomのノイズキャンセルってよくできているけど、そこには空気感がないんですよね。ロベール・ブレッソン監督が「トーキー映画によって沈黙が発明された」と言ったように、映画史ではノイズによってはじめて沈黙が描けるようになったし、沈黙のなかには音声として発せられる前の声が潜在している。Zoomには、無音はあるけど沈黙がないんです。沈黙のなかに潜在する、声以前の声がノイズとしてキャンセリングされてしまう。


 こんなときに人間を救うのは空間の隔たりを超えて、声が遠くまで 飛んでいこうとする力そのものかもしれないと思ったんですね。というのは、大島では畑を耕しながら歌うように「おーい、生きてるか」「生きてるぞ」って声をかけあう音声の展示があって。「歌ってるんですか?」と聞いたら「いや、生存確認じゃ」って(笑)。おれはここにいるぞ、お前はそこにいるか」と。声をかけてもらうことで、孤立して死の淵に引きずられているときに声でひゅっと釣り上げてもらうような。


 声は飛沫より遠くに届くでしょう(笑)。メディアは誰かに声を遠くに届けるために発展してきたところがあるんじゃないか。マイク、PAシステム、果てはボイジャーにレコードを搭載して打ち上げた。グラハム・ベルが電話を使った音声伝送に成功したとき、「Mr.Watson ! Come here,I Want to see You! (ワトソン君、ちょっと来てくれ)」と隣室のワトソンに呼びかけた。遠隔で声が届いた瞬間にもう「あなたに会いたい」と言っている (笑)。また、エジソンは、死者と話すための「スピリットフォン」を発明しようとしていた。人間は遠くにいる会えない誰かに、 なんとか声を届けようとする本能を抱えながらずっと生きてきました。互いに接触できないなかで、会えない誰かに本能的に声で接触しようとするときに生じるテンション。今、そのテンションを維持し続けることが重要だと思っています。


 最後に、視聴者からコロナ禍でのライブに関する質問があった。


アサダ いまここで行おうとしているんだろうな、という感じが伝わることが大切。オンラインでは、福島の住民さんの歌とこちらの演奏はどうしたってずれてしまうんですけど、ずれていようが、音楽を使ってつながることにチャレンジしている感じの方を表現できた方がライブだと思います。


山川 2018年にYCCで70時間ライブを演りました。事故の予感がないとライブではないし、起こすなら悪い事故でなく、いい事故を起こしたい。2020年6月26日には山手線ライブをこっそりと。マスクの下に骨伝導マイクを仕込んでDOMMUNEを通して中継しました。「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2020」では、石切場にモバイルルーターを持ち込んで、通信が途絶えてもなんとか届けようとする状況を配信しました。



SUPER DOMMUNEで放送された山川冬樹による山手線ライブ(2020年)

山川冬樹《岩とヒト》みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2020



 これまでちょっと反則をしながら無理めな方法論で音楽らしきものをやろうとしてきました。自分が生きること、その場にいることの生々しさと“音楽”との間に摩擦をつくりながら音楽以前のものが、音楽になる瞬間を追い求めてきたつもりです。そこには「いまここ」にしか生じ得ない生のクオリティがある。でも一方ではまた、録音でしかできない、細部まで構築されたクオリティに向き合ってみようかな、という心境の変化もあるんです。


 窓の外はすっかり暮れている。今年をどう過ごしたいかを語り、対談を終えた。



アサダ この状況のなかで「調整」に時間を取られている間に、見失ったことがあるなと気づいた。山川さんの大島での作品を見て、僕も個人としての純度を取り戻さないとやばいなと思って、その時間を丁寧にとりたいと思いました。


山川 感染症法の改正で刑事罰化するという話があったときに心の底から怒りが湧いて、自分を突き動かしてくれるものを大島の方々からもらっていることに気づかされました。今年は研究と制作に時間を費やしていきたい。ディスチャージばかりでなく、ピットインに入って点検して戦える体にして出て行かないと。今日はまさに声をかけていただいてありがとうございました。




PROFILE

アサダワタル

1979年大阪生まれ。文化活動家。これまでにない不思議なやり方で他者ならびに自己と美的に関わることを「アート」と捉え活動。音楽や言葉を手立てに、全国の市街地、福祉施設、学校、復興団地などでプロジェクトを展開。2009年、自宅を他者にゆるやかに開くムーブメント「住み開き」を提唱し話題に。2010年以後、文化的なアプローチからコミュニティの理想のかたちを提案する著作、新聞・ウェブ連載を多数発表している。アーティスト、文筆家、品川区立障害児者総合支援施設ぐるっぽコミュニティアートディレクター(愛成会契約)、東京大学大学院、京都精華大学非常勤講師、博士(学術)。近著に『住み開き増補版』(ちくま文庫、2020)、『想起の音楽』(水曜社、2018)など。ドラマーとして在籍していたサウンドプロジェクト「SjQ++」では、「アルス・エレクトロニカ2013」サウンドアート部門準グランプリ受賞。



山川冬樹 1973年ロンドン生まれ。現代美術家・ホーメイ歌手。視覚、聴覚、皮膚感覚に訴えかける表現で、音楽/現代美術/舞台芸術の境界を超えて活動。己の身体をテクノロジーによって音や光に拡張するパフォーマンスや、トゥバ共和国の伝統歌唱「ホーメイ」を得意とし、これまでに16カ国で公演を行う。現代美術の分野では、マスメディアと個人をめぐる声の記憶を扱ったインスタレーション『The Voice-over』、自らが発する「パ」という音節の所有権を、一人のアートコレクターに100万円で販売することで成立するパフォーマンス『「パ」日誌メント』(2011~現在)などを発表。国立療養所大島青松園(ハンセン病回復者の療養所)や、「グランギニョル未来」のメンバーとして福島県の帰還困難区域での長期的な取り組みもある。ほか、東京湾海上でのライブ・パフォーマンス『DOMBRA』など。https://openwater-mizuhiraku.com/





※本記事は、2021年2月11日に開催されたオンライン・クロストークの内容をもとに執筆されました。

オンライン・クロストーク当日の動画は、以下でご視聴いただけます。


アートアクセスあだち 音まち千住の縁

アーティスト・クロストーク《オンライン》#03「会えない日々と、気配のゆくえ」


日時:令和3年2月11日(木・祝)16:30~18:00頃まで

出演:アサダワタル(文化活動家・アーティスト)、山川冬樹(現代美術家・ホーメイ歌手)

モデレーター:

冨山紗瑛(東京藝術大学 大学院国際芸術創造研究科修士課程 熊倉純子研究室)

LanaTran(東京藝術大学 大学院国際芸術創造研究科博士課程 熊倉純子研究室)

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