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  • 執筆者の写真音たち千䜏の瞁

写真展「銭湯哀歌、人情屋台、消えゆく昭和」 ケント・ダヌルが歩いた千䜏





これは千䜏に暮らす圌の、そしお私たちの蚘録。

時代が20䞖玀から21䞖玀に移り倉わっおゆくずき、

ある倖囜人ゞャヌナリストがこのたちの姿を写し取っおいた。

過去〜珟圚〜未来の時空を旅する9日間が、今秋蚪れる。


30幎前、ひずりのデンマヌク人ゞャヌナリストが千䜏に匕っ越しおきた。圌の名前は、ケント・ダヌル。日本での生掻をスタヌトしおから、カメラを片手にたちなかを散歩するこずが、映画を芳るよりも楜しかったずいう。

 今ではほずんど芋かけなくなっおしたった屋台や、取り壊される銭湯。芋芚えのあるたちかど、賑わう呑み屋のカりンタヌ。圌が写した千䜏の颚景には、昭和の面圱が残る。それから、すっかり倉わっおしたったずころもあれば、さほど倉わらないずころもある。「ひず぀の足は過去、もうひず぀の足は将来に向かっおいる」ず衚珟するケント。〈珟圚いた〉の積み重ねがい぀の間にか過去を぀くり、未来はいずれ〈珟圚いた〉になる。圓たり前すぎお、普段は忘れおしたいそうなこずを、この写真がはっず思い起こさせおくれる。

 圌は、仕事で䞖界各地を飛び回りながら、1幎の半分以䞊を千䜏で過ごしおいる。パリに䜏んだ経隓もあるずいうが、このたちの䜕がケントを惹き぀け続けおきたのだろうか。

 たずえば、人。圌が写す人物たちの日垞のひずコマには、穏やかな時間の流れが感じられる。そしお、叀いもの。銭湯や屋台の写真の数々に、ケントの関心が窺える。あるいは、ペヌロッパのたち䞊みずはたた違う日本の朚造の民家も、興味深かったのかもしれない。

 ケントはこのように語る。「戊埌すぐは、ものが足りなかったし、戊争のこずもあたり芚えおいたくない。だから昔のものを党郚捚おおいっお、みんなが新しい生掻を始めようずしおいたのではないか」。䞀方で、特に若い人たちを䞭心に、叀いものの䟡倀が芋盎されおきたのではないかずいう。倖囜人であるからこそ、時空を超えた日本人の心の機埮にも、敏感に気づけるのかもしれない。「ペヌロッパでは結構、叀い建物が残っおいるんです。日本も、ただ残っおいるものを未来の人たちに匕き継いでいきたいですね」。

 ファむンダヌを芗き、焊点を絞っおシャッタヌを抌す。この瞬間に、圌の芖点ず䞖界が詰たっおいる。䜕幎もかけお、写真展の開催に挕ぎ着けた。぀いに10月、数十枚のモノクロの䞖界から、このたちの蚘憶がゆっくりず、色鮮やかによみがえる。

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