かつて存在していた「お化け煙突」について、リサーチを始めた久保ガエタン。
地元の人々に尋ね、調べていくうちに、「輪廻」ともいえる歴史に突き当たる。
流転の先に待っていたものは、自らのルーツの一つ、フランスのボルダーだった!
お化け煙突からボルドーまで
すべてはお化け煙突から始まった。
初夏、「千住・縁レジデンス」のコンペに向けてリサーチを始めた久保ガエタンの目を捉えたのは、その名だった。自分の作品群と何か接点がありそうだった。
お化け煙突とは、1926(大正15)年に建てられ、東京オリンピック前年の1963(昭和38)年まで稼働していた千住火力発電所の4本の煙突のこと。見る角度によって1本にも2本にも3本にもなることから呼び名が付いた。約84メートルの長身で、五所平之助[ごしょ・へいのすけ]監督『煙突の見える場所』など数々の映画や文学でも親しまれたものだ。
久保が東京電力足立営業センターに資料を探しに行くと、アポなしにもかかわらず、職員が地階から千住火力発電所の模型を探し出してくれた。
千住火力発電所の解体後、煙突の一部は足立区立元宿小学校の滑り台に再生された。2005年に廃校になるが、帝京科学大学千住キャンパスのモニュメントとして今も記憶を留めている。コンペを通過し、秋から滞在制作が始まると、久保は大学の協力で、モニュメントからかけらを採取。次に足立区立郷土博物館を訪ね、千住火力発電所の青焼き図面のデータを借りた。再び東京電力足立営業センターにも足を運び、模型を借りる。模型と設計図、かけら。展覧会のいわば”三種の神器”が揃った。千住火力発電所の守護神社だった元宿堰稲荷神社に参拝もした。
調べを進めると、この千住火力発電所が建てられたのは、浅草火力発電所が関東大震災で使えなくなったためだった。浅草火力発電所の発電機は、戦艦「東[あずま]」のスクラップからできていた。東京石川島造船所(現IHI)の五十年史に、発電所を建設した技師長・進経太[しん・つねた]の文書があった。当時純鉄が手近で求められず、海外から輸入するのに時間がかかるため神奈川の古鉄商から買い取っている。
戦艦「東」は、明治政府が米国から購入し、旧幕府軍の降伏に結びつけた船だった。米国では「ストーンウォール(甲鉄)」の名で、独立のために南北戦争で出陣。同盟国フランスのボルドーで建造された船だった。
「ボルドーは私の母が生まれ育ったまちで、今も親戚が住んでいるんです」と久保は語る。酒などの交易で、かつては造船業も発展していた港町。図らずも、近代史と自らのルーツへの旅が交錯する。
ものが生まれ変わる輪廻 つながる人の縁
久保は、煙突のかけらを、千住の陶芸家、オルガノン・セラミックススタジオの瀬川辰馬[せがわ・たつま]に託した。瀬川は、不用品などの一部を砕いて釉薬をつくり、着色剤として吹き付ける「陶葬」を行っている。久保は、煙突型の陶器で、観客にボルドーワインを提供する「食」のアートを企画中だ。
用途を変えながら生まれ変わる、輪廻の物語は広がる。浅草火力発電所の発電機を設計した藤岡市助[ふじおか・いちすけ]は、1890年に建てられた凌雲閣(浅草十二階)のエレベーターも設計した「日本のエジソン」。久保は、エジソンにちなみ、煙突型の蓄音機を製作中だ。かつて千住火力発電所で働いていた人から話を聞いて録音し、サウンドインスタレーションを行う。「蝋に音の波形を刻み込んだものが、タイムカプセルのように、未来に発掘されて再生されたら」と夢見てもいる。
展覧会は、この不思議なタイムスリップを追体験するものになる。凌雲閣が登場する江戸川乱歩の小説『押絵と旅する男』に着想を得た澁澤龍彦[しぶさわ・たつひこ]の『記憶の遠近法』のように。望遠鏡を逆さにして記憶を遡る旅に誘う。
ちなみに、お化け煙突を設計した内藤多仲[ないとう・たちゅう]は、東京タワーなどの構造を手がけた、通称「塔博士」。東京タワーの展望台の上部は、朝鮮戦争に使われた戦車「M47パットン」の鉄が再利用されている。
久保自身、過去の作品を壊して次の作品をつくることも多い。「ものが変わっても、記憶は伝承される。西洋では驚かれますが、日本には古来受け継がれる精神ですよね」。あるいは”機械の中の幽霊”と言ったらいいだろうか。
「直接人とかかわるリレーショナルアートとは違う形でも、自然と縁に結びついてきたように思います。そのなかで作品もどんどん変わっています。展覧会では、ぜひ、あなたの千住話もお聞かせください」。
白坂ゆり(ライター)
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