プロフィール
小野寺慧知|おのでら けいち(大学院生/大巻電機K. Kメンバー)
宮城県仙台市北部の富谷市出身。東京電機大学未来科学部ロボット・メカトロニクス学科 博士課程3年。千住に7年在住、千住は「家」のように気楽に過ごせるまちだという。学部4年生の時より、当時の担当指導教員・井筒正義先生とともに音まちのメモリバに関わる。メモリバを支えるまちのメンバーでつくる「大巻電機K. K」にも所属。
女子2人が「怖えええ」
音まちで一番記憶にあるのは、太郎山(※1)ですね。最初は音まちの方から、これまでのメモリバ(※2)の開催場所を撮りたい、同時に千住のいろいろな風景もと言われて、チャリの荷台にビデオカメラを取りつけて千住の中を走り回りました。撮ってみたら何か物足りなくて、逆サイドの映像も欲しいとか、逆ルートも撮ってみようかとか、いろいろ試行錯誤して何度も何度も走りました。自分が修士1年の時で、電大の中ではけっこうメインで関わっていて。夜、シャボン玉の中で投影した映像はほとんど自分が撮りました。
朝の10時に太郎山公園に集合したら、Zさん(藝大生)が来てなくて、音まち事務局長(当時)のKさんが「また寝坊だよ!」って怒り出すので「じゃあ先に走ってきます」って回ったこともあります。いろは通り商店街は「何往復かしてきて」って言われて行ったり来たりしたのですが、荷台にビデオカメラを載っけてるんで、すごく恥ずかしいんですよ(笑)。それで戻ってみたらZさんとKさんの女子2人が険悪ムードで「怖えええ」って(笑)。いろいろ大変でしたけど、楽しかったです。
ロボット・メカトロニクス学科という名前に惹かれて
こどものころからロボットとかが好きで、TVでロボコンを見て育ったので、そういうことをやれる大学に行きたいと思いまして。宮城県出身なんですが、親からも一人暮らしはしてみろって言われていたので、東京に絞って受験しました。国立も受けたのですが落ちて、電大の「未来科学部ロボット・メカトロニクス学科」という名前に惹かれてここに来ました。入った時の正直な感想を言えば「すっげえキツイ大学だなあ」と(笑)。テスト、小テスト、課題、それに加えて実験系のレポートが週1本くらいある。電大って意外にチャラい系の人も多いんで、大変だったと思いますが、数人ずつグループ作ってみんなで協力し合ってね。自分のグループはけっこう真面目で、図書館にこもって課題をやってました。
4年生になって研究室に本配属されて、「小野寺行くぞ」って言われて「えっ、何?」と思いながら音まちに関わるようになりました。自分の前の代からやってて、それが今まで毎年続いているって感じですかね。メインで関わってるのは4〜5人ですが、2つの研究室合同で50人くらいいる中で、メモリバ本番の日には30人くらい行ってるかと思います。
「帰りか?」「飲むぞ!」って
初めて関わった年は、自分たちでワークショップをして撮ってきた写真を、プロジェクターで校庭と校舎に投影しました。学科のメンバーもまちの人も音まちのみんなも一緒になってひとつのものを創り上げたので、最後までやると楽しいなって思いましたね。うちの学科は忙しいので、サークルにも入ってないし、大学祭にも関わってないので、これだけ大きいイベントを経験したことってないし、所属の違う人たちと何かやるっていうこともめったにないですから。研究室の中の人とも話す機会が増えて、チームワークも生まれたんじゃないかな。
それに気づきもありました。研究ばかりしていると視野が狭くなりがちですが、大学で研究してきたことが社会でこういう風に使えるんだなと気づいたこともありましたし。普段まちの方の声を聞くことはなかったのですが、中が見えない電大のことがまちの人は気になってるんだなとか、求められていることがあるんだなとか知りました。音まちを通して親しくなった文具屋の旦那Yさんと、夜、鳥メロの前あたりで会ったりすると、「帰りか?」「飲むぞ!」ってそのまま連れていかれたりして(笑)。銭湯の旦那さんと一緒に飲んだこともあります。銭湯って地域の人が使ってるイメージがあって、学生がみんなで行ったらじゃまかなって若干思ってたんですが、そうじゃなくて行っていいんだってわかったり。PTAの方に頼まれてモーターを作るこども向けの工作教室をやったりもしました。
人と話すのも嫌いじゃないみたい
昨年は1年間シンガポールに大学の研究員として滞在したのですが、プロジェクトの資金を提供していた企業からの支払いが半年くらい滞ったんです。それで現地の生活費もまかなっていたので困って。研究資金に使ったら給与の分がなくなったって説明されて、コイツ何言ってんだよ、まず人に渡せよって思った。技術系の仕事も好きなんですが、シンガポール以降、技術の現場を支援したり資金をマネジメントしたりする仕事も大事だなって思うようになって、現在は技術支援や企業研修を行う某企業への就職を考えています。そういうことができる会社っていま、日本にはあまりないと思うので。
大学に入った時にはこういう道に進むとは思ってなかったんです。自分でもびっくりですけど、人と話したりするのも嫌いじゃないみたいで。研究は人と相談してやるものですし、音まちでの経験も生きてると思いますね。音まちのプロジェクトを成功させるには、マネジメントする人がいないと、映像を撮ったり機械を動かしたりする自分たちだけではうまくいきませんからね。自分にとっては「視野を広げてくれた場所」かなあ、音まちは。
(インタビュー・執筆:舟橋左斗子)
※1 千住旭町にある通称「太郎山公園」で開催された2014年のメモリバのこと。
※2 大巻伸嗣「Memorial Rebirth 千住」の愛称。無数のシャボン玉によって、見慣れたまちなみを光の風景へと変えるアートパフォーマンス。2011年度より年に1度、千住のまちからまちへ受け継ぐかたちで開催されている。2018年は千住から飛び出し、西新井第二小学校で開催。
【2018年11月発行号掲載】
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