プロフィール
林 祐悟|はやし ゆうご(会社員/大巻電機K.K.メンバー)
2019年より大巻電機K.K.メンバー。勤務先で、上野の旧博物館動物園駅を活用したアートイベントを担当したことをきっかけにアートに興味を持ち、地元・足立区のアートプロジェクトに目を向けるように。コロナ禍を経て5年ぶりに開催された本番、大巻伸嗣 「Memorial Rebirth 千住 2023 東加平」では、マシンのタワーのそばでシャボン玉に風を送る役割を担った。
アートにはまったく縁がなかった
「Memorial Rebirth 千住(以下、メモリバ)※1」を支える市民チーム「大巻電機K.K. (以下、K.K.)※2」に参加するようになったのは2019年からです。ものすごい数のシャボン玉を上げる祭りがあると区の広報紙で知って、過去に家族とメモリバに行ったことはありましたが、もともと「アート」にはまったく縁がなかったんです。興味もなく、美術館に行く習慣もありませんでした。
それが、勤務先で、長年閉ざされていた上野の旧博物館動物園駅をリノベーションして活用する仕事をさせてもらう機会がありました。駅舎は国会議事堂のような重厚で特別なデザインで、当時の藝大の日比野克彦美術学部長(現学長)とご縁ができて、最終的にここをリノベーションして開きましょうという話になり、「アナウサギを追いかけて」というアート企画をやったんです。
作家さんがすごく大きなアナウサギを造ったり、博物館動物園駅なので、昔の博物館の博士のような人が案内をしてくれたり、ウサギのバイオリン弾きがいたり。週末を中心に駅を一般公開しました。
自分は担当だったので、閉ざされていたときも、改修工事のときも、何度も中に入って駅を見ていたのですが、アート作品が入ることで空間が、もうまったく違って見えたんです。昭和8年から使われてきた古い空間が、非日常の異空間に、ぱっと変わった。そして、見にきた人がみんなすごく楽しんでいる。それを体感して、アートってすごいんだなっていうことを、初めて感じたんですよね。
新しい出会いがあるかも? 大巻電機K.K.
その後、担当替えでその仕事からは離れることになりましたが、強く印象に残っていたし、離れたことはちょっと寂しかったんですよね。そのとき思い出したのが地元・足立区のメモリバだったんです。あれだけのシャボン玉を上げるので、ほんとに日常の風景が違って見える。そこで、家の近くで開催されたしょうぶまつりの「ふわり◎シャボン玉」の企画を見にいったらメンバー募集のチラシを渡されて、9月の説明会に行ってみたんです。そうしたら、来られるときに来ればいいですと、ハードルが低かったのと、当時いた台湾の留学生が「どんなきっかけで来たんですか」など、ぐいぐい質問してきて(笑)。藝大の学生さんや事務局の人、そして先輩K.K.など、今まで自分が接したことのない人がたくさんいたので、ここに参加すれば、新しい出会いがきっとあるんだろうと感じて、参加を決めました。
ですが、本格的に活動を始める前、本番直前にコロナ禍となり、すべてがリセット。それからはオンラインで月に1~2度ミーティングしたり、「メモリバ学校の昼やすみ」と名づけて、しゃボンおどりを踊ったり、手づくりのシャボン玉マシンを自転車の荷台につけてまちを練り歩いたりもしました。歩いている人が子どもも大人も「え、なに? なに?」って寄ってきてくれて、このときは、シャボン玉のコミュニケーションツールとしての力を感じました。「メモリバのホームステイ」って企画もあって、大きなイベントができない時期に、希望するご家庭の大切な場所にシャボン玉を届けたりもしました。
コロナ禍であらゆる活動がリセットされた
コロナ禍では仕事も半分くらいオンラインになりましたし、遠くに行くこともできなくなり、コロナであらゆる活動はリセットされたんですね。するとむしろ時間もでき、コロナ禍でも活動が継続していたK.K.への関わりが相対的に多くなったと思います。閉じ込められる環境になって、だからこそ外に行きたい、人と話したい、っていう思いが強くなったかもしれません。
コロナ前は、趣味や自分のためにする活動が多かったのですが、コロナで何もできなくなって、できることから始めていくと、自然と地域の活動が多くなっていきました。メモリバのような活動は広がりがあるし、やってみると自分のためにもなるし、人のためにも地域のためにもなって、断然そちらのほうが楽しいんです。
シャボン玉を上げたら子どもたちが無我夢中になって、わーって寄ってくるじゃないですか。その喜んでいる姿を見るのが好きなのかもしれないです。純粋に、やっていて楽しい。そういうものを子どもたちに届けられているって実感がすごくあって、それってすごく意義のあることだから積極的に関わりたいという思いを持って活動しています。
人のために何かをやることの楽しさを、このメモリバの活動を通して学ばせてもらっているなと思いますし、それを通じて自分も成長させてもらっていると思います。
アートの領域ではインクルーシブが自然
子どももそうなんですけど、大人もわーってなるでしょ? 大人も子どもも、老いも若きも、日本人も外国人も関係なく。また、うちの長男は発達障がいがあるんですが、障がいのあるなしも関係ないじゃないですか。うちの子はよく手伝いにも来てくれるんですが、スタッフやK.K.のみなさんも普通に接してくれて、本当にうれしいですね。今はいろんな場面でインクルーシブって言われますけど、現実ではなかなかそうなっていないことも多い。でもアートの領域だとそれが自然とできている。分け隔てがない。アートとは縁がなかった自分が、今はその価値、すごさを感じて、支える側になっていることに、やりがいを感じます。
メモリバに限らず言えば、音まちでは、仲町の家※3にも時々行きますが、行けばいろんな企画をやっているし、いろんな人も出入りしている。新しい刺激を受けられる場所でもある。それもすごく、ゆるやかな形で。
例えば何かチケットを買って、音楽のライブに行くと、刺激を受けられるし、東京にはそういうものはあふれているけど、音まちでやっていることは、もっとそれをゆるく、誰もが自然に体験できる。そういう要素が音まちにはとてもたくさんあると思います。そんな活動がこの足立区で続いているっていうのはとても大事かなと、区民の目から見ても思うし、これからも続いてほしいなって思います。
50台のマシンを積む、洗う、楽しさ
コロナ禍が続き、初めて本番を経験したのは、2023年の東加平小学校です。本番では風を送る係をやらせていただきました。50台積んだシャボン玉マシンのタワーのそばに立って、大きな送風機を手にシャボン玉を風であやつりました。4隅に4人。ひとりがインカムで大巻さんからの指示を受け、あとの3人がそれを見て同じ動きをする。本番の30分の間に、手はシャボン液でぬるぬるしてくるし、送風機は重くて落としそうになるし、無我夢中でしたけど、作品と一体になれた感はすごかったです。初めて参加する自分に、超大事な役割を任せてもらったのも、すごくうれしかった。
とにかく視界は全部シャボン玉になるし、お客さんの顔はあまり見えないけど、おーっというどよめきや、すごいって感じているみんなの興奮とか、中にいてそういうのを全身に感じました。
でも、一番印象に残っているのはやっぱり、準備と片づけです。2000人規模のイベントの準備ですから前日から準備し、50台を一台一台積み上げていって、シャボン液を入れて、昼夜の本番2回を終えてから解体して、50台のマシンを洗い続ける果てしない作業。人によってはただめんどくさいって思うかもしれないけど、僕はそれをけっこう楽しんでやっていて。初めて会う人と、同じマシンを、ただひたすら集中して洗う。僕なんか、マシンを洗って片づけるときに、最初よりきれいにして返そうと思って、けっこう頑張ったんです。夕方6時ごろに本番が終わって、打ち上げ会場に行ったの、夜9時くらいだったんじゃないかなあ。
メモリバってある意味、今の時代の新しい「地域の祭り」といえるのかなと思います。何百年も続いている伝統的なお祭りも、準備や片づけは大変ですよね。みんなでひとつのことを一生懸命やるって、今の世の中だとあるようでないので、そういうのも楽しい。終わったときの「あー、終わった」っていう達成感もいいですね。
今後はK.K.が、企画に関わったり、つくっていく場面も増えていく気がして、まだできることはたくさんあると思うので、僕はそういうこともやってみたいと思っています。
インタビュー・執筆:舟橋左斗子
※1 Memorial Rebirth 千住(通称メモリバ):無数のシャボン玉で見慣れたまちを一瞬にして光の風景へと変貌させる現代美術家の大巻伸嗣によるアートパフォーマンス。千住では、2012年3月にいろは通りから始まり、区内の小学校や公園など毎年場所を変えながらリレーのバトンのように手渡されてきた。
※2 大巻電機K.K.:メモリバを支え、つくる市民チーム。年1回ほど開催している本番当日の運営サポートと、プレイベント「ふわり◎シャボン玉」をはじめ、いろいろな場所や人びととともに、本番に向かっていく「コトづくり」を行う。
※3 仲町(なかちょう)の家:「音まち千住の縁」が運営する千住の文化サロン。千住のまちをつくった祖先のひとり、石出掃部介吉胤(いしでかもんのすけよしたね)のご子孫が大切に守ってこられた美しい日本家屋と、緑あふれる庭が広がる情緒深い空間。
【2024年11月発行号掲載 / ロングバージョン】
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