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  • 執筆者の写真音まち千住の縁

建築、料理、市場、音まち、そしてsoco1010 縁を受けつぎ、縁をしかける|田草川 紘一

更新日:2020年12月29日


プロフィール

田草川 紘一 |たくさがわ こういち(soco1010 主宰)

足立区梅島生まれ葛飾区お花茶屋育ち。芝浦工業大学大学院理工学研究科修士課程建設工学専攻修了。NPO法人音まち計画 理事。

足立市場のマグロの仲卸・早川屋三代目として市場で働いた後、2019年7月に、早川屋事務所と併設の超低温冷凍庫をリノベーションして、シェアカフェとオルタナティブスペース「soco1010」をオープンさせた。音まちには2011年、足立市場で開催された足立智美「ぬぉ」をきっかけに関わるようになり、大巻伸嗣「Memorial Rebirth千住」と、打ち上げの料理人としては、なくてはならない存在。



みんな首をかしげてた

 「なんだこりゃ」と思いました。2011年、音まちが市場で「ぬぉ」という足立智美さんの企画をやったときです。祖父の代から早川屋の屋号で市場でマグロの仲卸をやっていて、2011年には市場で働いていたんですが、自分は、市場の中では異端児というか変わり者的な存在だったみたいで「訳のわからないイベントの相談が来たけど、あいつなら喜んでやるだろう」って感じで声がかかったんです。

 でも、当時は現代音楽なんて知らなかったし、コンサートって聞いてたけど、フタを開けてみたらステージや客席があるわけでもないし。自分の知っているコンサートの形式とは全然違う。自分がターレー(※)を運転したのですが、荷台に「あー」って言ってる人たちを乗せて「なんだこりゃ」って思いながら、ひたすらぐるぐる回って。市場の人たちも多くは首をかしげていました。でも、衝撃的でした。そしてすごく面白かった。みんな真面目に、本気で、訳のわからないことをやっている雰囲気が面白かった。それが、足立市場と現代アートのファーストコンタクト。自分と音まちの出会いでした。


ものごころついたときから理系

 小さいころから、工具があれば何でも分解してしまうような子どもで、仕組みが知りたい気持ちが強くて、壊れたオーディオ機器とかに夢中になっていました。だから「理系だな」っていうのは最初からあって、親の意向で中学受験することになったときになんとなく理系を選んで、そのまま大学院まで進みました。

 でも本当は、中学から地元の友達と離れちゃうのがいやだったし、自分で選択したのではないっていうのがずっとついてまわって、あまりおもしろくなかった。振り返ると気力のない中学生で。部活をやってなかったので、中学の頃から晩ご飯はだいたい僕がつくっていました。料理が好きだったんですね。料理とものづくりって、同じだったんです。大学の研究室で夜通し作業の日に、大きなお好み焼きを焼いたり、音まちでも打ち上げのときに現れる謎の料理人でした(笑)。

 大学では建築を専攻し、地域コミュニティや都市のエネルギー代謝などを研究していました。大学院では指導教員の専門に沿った研究をするので、地域冷暖房というシステムをテーマにし、データ分析したりシュミレートしたりしました。でも、中高時代から大学時代も、自分の人生だけど、自分の人生じゃないものを生きてるような感覚がずっとついてまわってしまって。なんだか心にぽっかり穴が開いているような気がしていた。気づいたら自分に存在価値を見出せてなくなっていて。院を卒業してからも、就職活動をまともにできなかったんですよね。「仕事って何?」って。突き詰めちゃう性分が抜けなくて、しばらく日本各地を放浪してました。そしたら、建築って、やっぱりいいなって思えるようになって。でも、お金もなくなるし、このままじゃまずいなって放浪しながらひしひしと感じるようになったんです。それで、目の前に市場があったので、そのまま市場の仕事を始めた。料理が好きで、食べるのが好きだから、ひょっこり入ってしまったというのはあります。


音まちにどっぷりはまる

 市場は職人の世界なので、日々のルーティンの中での作業を通して技術が向上していくものづくりの世界とちょっと似ているかもしれません。もともと食べることが好きだし、中でもマグロって特別だなっていう思いはあったので、マグロをちゃんと目利きできるようになりたいなって思いはあったんです。見方としては、尻尾の断面の色を見て、手カギでほじって口の中に入れて溶かして、甘いとか、酸っぱいとか、脂があるとか、身の質感とか。そういうのを総合的に判断して値段をつける。その、「マグロを見る」ってことを目標に日々、いろいろなことを覚えていきました。

 音まちとの出会いは、市場で6~7年、働いたころだったかと思います。ひとつひとつこなせるようになって、市場の中での立ち位置も見つかって、すこしずつ自信もついてきたころでした。他の仲卸さんとも呑みに行ったりして、いい意味でも悪い意味でも仕事仲間がいる。市場の空気に馴染んできて、人間臭い場所を楽しんでいた時期でした。

 翌2012年度の企画「ミュージサーカス」では、市場的な要素をもっと入れられないかという相談があったので、パフォーマンスとしてマグロの解体ショーを提案しました。「せり」「解体」、そして調理されるマグロとして「ねぎま鍋」と、マグロにまつわる一連の流れを点在させる提案です。アーティストの足立智美さんが、始めて市場の空間を言語化し、「フラットではない濃淡のある空間」というような言い方をしたり、話を聞けば聞くほど興味が湧いて、どっぷりつかるきっかけになりました。作家さんはちゃんと場所の背景やストーリーを大切にして制作して行く。それもすごく、いいなと思った。そしてそのロジック以上のものをパフォーマンスとして魅せてくれた。

 そんなわけで2年目は、アイデア出しの部分と、70~80におよぶ市場の事業者、市場内部の調整部分に関わりました。たとえば解体をしてもらう仲卸の人に出演をOKしてもらわなければならないので企画書を作ったり。音まち側でも市場側でもないような立場で動いて、そういう折衝ごとが新鮮でした。頭の中にあるプランを、カチカチカチカチ揃えていく、ものづくりのイメージでプロジェクトに参加していった感じですね。それがものすごく面白かった。

 それと、この年に千住の古民家で展示があった大巻伸嗣さんの「イドラ」が衝撃的でした。空間に対してすごく自由で力強く、そして繊細に感覚に訴えてくる。「こんなに自由でいいんだ」って。アーティストが場を面白いと思ったときのパワーのすごさも知ったし、何よりも作品が生まれる瞬間に立ち会えるのが醍醐味になっていました。このとき、自分の中で何かが変わりました。このころには現代アートにも興味が出てきて、越後妻有トリエンナーレにも行ったりしました。


吐きそうになった太郎山

 2013年度・大友良英さんの「縁日」、2014年度・野村誠さんの「千住の1010人」と、市場で開催された大きな企画では、市場コーディネーターとして関わりました。

 そして、その3週間後くらいに「Memorial Rebirth千住 2014 太郎山」が開催でした。「千住の1010人」でへとへとになってスタッフはすでに完全燃焼な状態でした。にも関わらず、初めての公園での開催で、夜の回には芸術性の高い演出が企画されていました。当時、事務局内では電力の計算をできる人がいなくて、自分は学生時代にエネルギーの研究をしていたのでできるということがあってかりだされました。電源の設計をして公園の隣のマンションや自治会館から電源を引かせてもらうなどやりくりをして万全を期して本番に臨んだのですが、夜の演目が始まったとき初めて自分の責任の重さを知り、本当に吐きそうなぐらい気が気じゃなかった。大巻さんはもちろんそれまで関わってきた人たちが積み上げてきたすべてが水泡に帰してしまう恐怖感…それを初めて感じたのが太郎山でした。

 それでも太郎山のメモリバはすごく素敵だったし、もうひとつ、電大生やまちのおっちゃんたちが一緒になってサポートチームをつくってメモリバを支えているのがすごく面白くて。自分も電大生と同じ工学部の学生だったので、自分が学生のときにこういうまちとの関わりがあったらすごく良かっただろうなと思いました。終了後に、自分から、今後はメモリバに関わりたいと名乗り出て、2016年度、2017年度と、市場の一員としてだけでなく、音まちのスタッフとして担当するようになりました。


自作のマシンをつくる

 担当するにあたっては、やっぱり今までにないことをやりたい性分で(笑)、それにやはり突き詰める性分が出てきて、そもそもシャボン玉という物理現象は何なのかと(笑)。いろいろ考えた挙句、やはり客観的にとらえるにはマシンが必要だと思い立ち、自分で小型の、自動でシャボン玉を発生させる機械を、試行錯誤を繰り返してつくりました。自作マシンを使って仲町の家などで実験的にパフーマンスもして。その過程でわかったことがいくつかあって、たとえば地面近くに置くと、地表面の風でシャボン玉が全部横に流れてしまい、上に舞い上がってくれない。気流がなければただ落ちるだけ。それで、ファンを垂直に固定してファンと連動してシャボン玉を吹き上げることを考えました。まずはプレ企画で試してみて手ごたえを感じたので、ブラッシュアップして大巻さんに提案しました。2017年度の関屋公園の開催にあたっては、なるべく多くのマシンをタワー上部に配置、地表面には一台も置かず、自然の風と人工の風の両方を計算したタワーを設計しました。それがすごく機能したこともあって、関屋のメモリバが一番好きです。このときの自分にとっての集大成。


縁をしかける

 そして、2017年には、市場の仲卸「早川屋」としての営業を辞めました。早川屋の売上げも厳しくなってきていたので9月ごろから話し合いを重ねていました。

 早川屋は、ジグラ、つまり市場の外に超低温の冷凍庫を持っていました。東京の中でも数少ない面白い場所だから残したいなと思い、今まで見てきたこと、聞いてきたこと、体験してきたことの集大成的な場として改修して活用できないかなって思って。

 人生に価値を見出せていなかった時期から、アートプロジェクトに関わるようになって人間的に再生されたというか、生きてて楽しいなと思うようになった。

 きっかけがあれば、人生は前向きになれる。その縁をしかける。それがこの場のコンセプトなんです。シェアカフェと、壁の厚い冷凍庫部分は真っ黒なほぼ完全防音スペースに。照明も任意でレイアウトできるように設計したので、映像や音も出せるし展示もできる。気軽に作家さんなどに使ってもらえたらいいなと思っています。

 初めて手がけるリノベーションはわからないことばかりで本当に大変で時間もかかったけれど、音まちでいろいろなことをやってきた経験から、自分でやることを決めて調べて自分で動かないと何も進まないって気づいていたので。それがあったから、ここまでこれました。音まちは人生の分岐点だし、ここでの出会いや縁がなければ今の自分はない。同時に、今だからこそ、大学で学んだこと、先生にも感謝しています。建築、料理、市場、音まち・・・つながらないような点をつなげて積み上げて。

 千住は、音まちもそうですが、いろいろな円(縁)が重なっているようなイメージがあって、いろいろな人がそれぞれの思いで千住のまちを大切にしていて、もっと面白くしようとしている。自分もそんな円(縁)のひとつを描ければいいなと思っています。

 市場に入って、音まちと関わって、たとえばメモリバのプレ企画をやるとなると、その場所の人と交渉する。話すと顔なじみになって、自分の中の千住のまちが広がっていく。そのたびに千住のまちが自分ごとになっていくのを感じてきました。

 soco1010という屋号の中にはいくつも円(縁)があります。sとc、cと1の間にも円(縁)があって、それぞれをつないでいるイメージで。さらに、そこからまたつながっていったら面白いかなって。昔の自分のように自分に存在意義を見出せていなかったり何だか生きづらさを感じている人にも、ひとつでもいいから関わってみたいと思えるきっかけをつくれたら。そんな円(縁)を描くことができたなら。それが、恩返しにもなるのかなと思っています。


(インタビュー・執筆:舟橋左斗子)



※市場や工場などで使われる荷物運搬車。円筒形の動力部が360度回転し小回りが利く。



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