• 音まち千住の縁

ひょうたんから駒が出るようなはなし― まち、人を動かす、名づけられない「作品づくり」について ―

最終更新: 2020年12月29日



アートアクセスあだち 音まち千住の縁

アーティスト・クロストーク《オンライン》#01


野村誠(作曲家/千住だじゃれ音楽祭ディレクター)

×

Nadegata Instant Party(アーティスト・コレクティヴ/中崎透・山城大督・野田智子)


不完全さと不完全さのぶつかりあいに美の瞬間を見る


 「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」10年目を記念し、これまで参加してきたアーティストがゲストを招いてオンラインで語り合う全3回の「アーティスト・クロストーク」。8月5日に開催された第1回には「千住だじゃれ音楽祭」のディレクターとして地域の人々とともに多様な音楽をつくり出してきた作曲家の野村誠が出演し、中崎透・山城大督・野田智子からなるアーティスト・コレクティヴ「Nadegata Instant Party」(ナデガタ・インスタント・パーティー。以下、ナデガタ)と鼎談した。これまで挨拶を交わす機会はあったが、全員でじっくり話すのは初めてとのこと。参加者との関わりの中で、まさにひょうたんから駒が出るような出来事が重なり、想定を超えていくアートプロジェクトにおいて、どのように、作品づくりが行われているのか、また、形にならない見えにくい価値についても語り合った。


新しい音楽をつくるために、異なる価値観に会いに行く野村誠


 これまでどんな活動をしてきたか、まずは野村誠からプレゼンテーションが行われた。面白い音楽をつくるために、自分と違う価値観を持った人との出会いを大切にする野村。思いが高じて、2005年には動物園で動物と共演した。アリクイが檻の隙間から野村の鍵盤ハーモニカを弾くという奇跡も起きた「ズーラシアの音楽」などを機に、音が境界を超えることに可能性を感じ活動を続けている。タイとカンボジアの国境では、普段並ぶことのないタイとカンボジアの警官の前で演奏し写真を撮影。香港では知的障害をもつ方々が1000人ほど暮らす福祉施設に3か月間滞在し、彼らがまちに出て、演奏を通じて人々と混ざり合う場をつくった。


野村誠+野村幸弘「ズーラシアの音楽」2005年

横浜トリエンナーレ2005


タイとカンボジアの国境で 2018年


 「だじゃれ音楽」は、2011年夏、「アートアクセスあだち 音まち千住の縁(以下、音まち)」に招聘された野村のアイデアで始まった。音が同じだけで無関係のものがつながってしまう「だじゃれ」は、つながらないものをつなぐ象徴でもある。そこには、東日本大震災の後、寛容性が失われていく社会で「違う意見の人も同じ場所にいられるような場をつくりたい」という野村の思いがあった。市民有志による「だじゃれ音楽研究会」(通称:だじゃ研)は、おじさん世代のコミュニケーションツールである「だじゃれ」と音楽をつないだことで、他のアートプロジェクトではあまり見かけない、働き盛り世代の男性など、意外な層からの参加があった。2014年に、千住にちなんで1010人の演奏者を公募した演奏会「千住だじゃれ音楽祭 千住の1010人」にはこどもから大人まで1010人が参加。その後、タイやインドネシアにも遠征した。「だじゃれ音楽」は西洋音楽と邦楽の枠を超え、その参加者たちは、即興演奏でもプロと物怖じせず共演するなど、想像以上の展開を見せている。


「千住だじゃれ音楽祭 千住の1010人」2014年

足立市場

写真=加藤健



ピンとくる瞬間を呼び込むプロセス自体を作品とするナデガタ・インスタント・パーティー

 一方、ナデガタ・インスタント・パーティーは「即興的なイベントを通して即興的なコミュニティが生まれる、そのプロセスを作品としたプロジェクトをやりたい」という話から2006年に結成された。中崎透が制作のアナログ部分、山城大督が映像などデジタル、野田がマネジメント(演劇や映画界でいう「制作」)を担当。「作品の準備中、本を読んだり風呂に入ったりといった日常生活のなんでもない時間にピンときて、ものをつくるアイデアが生まれたりする。作品は氷山の一角で、大事なのはこの一番下にある“ピン”じゃないか。作品ができるための“空っぽの口実”に向けた日常が生まれてくることによって出来事が生まれ、ピンとくるような事態を創出していく。それ全部をプロジェクトの主題にできたら面白いんじゃないか」と話し合ったという。

 例えば、2007年のプロジェクト「インストール・パーティー」では、天井からバナナをぶら下げ、家の床を70センチ高くしてバナナに届くよう、訪れた人々に手伝ってもらいながら床をつくり続けた。「バナナを取る」という目的は口実で、その1週間の間に起きたさまざまな出来事を写真や映像に記録。観客は物語の登場人物のようになる。

「インストール・パーティー」2007年

 とたんギャラリー

 翌年には、50人の参加者を募集し、オンライン上での非対面コミュニケーションによる振付実践や音楽実践を共有しながら、約1ヶ月間におよぶ練習を重ね、ダンス公演の当日の朝に初対面し、夕刻にダンス公演を実施をする「オフライン・インスタント・ダンス」を開催。「完成されていない上演の不完全さを楽しむ」と言っていたら、クライマックスで予期せぬ停電もあり、感動的な1日となった。

 2009年に水戸芸術館で開催された「現代美術も楽勝よ。」展では、水戸芸術館の所管作品を使った展覧会(展覧会のキュレーションも担当)を舞台にした映画『学芸員Aの最後の仕事』を、約70人の地元スタッフとともに制作。夜の館内や地域のデパートなどでロケを行い、最後は水戸市の千波湖に300人の参加者(エキストラ)が集まり、みんなで踊るフィナーレまでを撮影した。半ば冗談で言ったことが音楽フェスほどの規模になり、イメージが現状を超えて新しい現実が生まれる。そうした瞬間を撮るために映画があり、それを準備するためにかけられた手間暇も想像させる。


ナデガタ・インスタント・パーティー 「Reversible Collection」

映画『学芸員Aの最後の仕事』2009年 

水戸芸術館 「現代美術も楽勝よ。」展


やわらかい楽譜。形に残らないものをどのように残す?

 野村の音楽もナデガタのプロジェクトも、絵画や彫刻のような形としては残らない。クロストークは「記録についてどう考えていますか?」という山城の質問から始まった。野村には、まず「出てくる音が聴覚的な体験として面白くないと満足できない」という前提がある。と同時に「音楽は、録音物として音以外のものを切り離せるけれど、音楽は音だけじゃない。音が半分で、視覚とか匂いとか音以外のものも半分ある」という感覚もある。「同じ曲でも演奏するたびに違い、空間によっても違う、なまものとしての音楽を残すために当初はあまり録音してこなかった」と言う。

 文化芸術に関する映像記録業務も行う山城は、2019年、野村とイギリス人音楽家ヒュー・ナンキヴェルとで2004年に共同作曲した即興性の高いミュージック・シアターを15年ぶりに再演するというワークショップ「ホエールトーン オペラ」を撮影した。そのとき「ワークショップでつくったものを楽譜にして、もう1回再生できるという仕組みに感動したんです」と問いの真意を語った。野村はこれを「やわらかい楽譜」と呼ぶ。五線譜の通常の楽譜では音や奏法が固定されるから再現率が高いが、同じものをもう1回やることにあまり意味を感じない野村は、「ここまでは物語として決まっているけど、この先は決まってないから自分たちで決めていこう!」と、楽譜に書かれていない部分をワークショップ参加者に委ねてしまう。ここは15年前はどんなトーンだったかを踏襲せずに、新しい呪文をつくろうとか。「そんなふうに人が集ってつくったエッセンスが、15年後の違う人たちでやっても出てくることがあるんだよね」と野村。記録を重視し、映像や写真、紙媒体やウェブなどに制作プロセスを残そうと苦心してきたナデガタ。山城も「“かたい楽譜”だったら、15年前の、迷いもあるヒリヒリした演奏も残らなかったかもしれない」と賛同した。


野村誠+Hugh Nankivell「ホエールトーン・オペラ」2019年 

豊中市文化芸術センター

不完全さを肯定する

 さて、今度は野村からナデガタへの投げかけだ。「時間をかけて練り上げたものがいいという人が多いから、“インスタント”で“パーティー”という名前はリスキーですよね?」。例えば、「本番1日だけです」と言って100人集めて24時間テレビ局をつくった作品(『24 OUR TELEVISION』)のように、参加者の潜在力がある限られた時間の中で出るようにセッティングすること。「だじゃれ音楽とかにもすごく通じる部分だと思うんです。舞台芸術やアートのほとんどで、短い時間でいいものができるという価値観がないけれど、書道なんか時間かけてゆっくり書いちゃダメじゃない?」と笑いを誘う野村。


ナデガタ・インスタント・パーティー「24 OUR TELEVISION」2010年

国際芸術センター青森


 それに対して中崎は、「インスタント」という言葉は、「時間の短さ」というよりも「未熟さ」「不完全さ」を肯定するという意味合いで使っていると答えた。「西洋美術のギリシャ彫刻の完全美に対して、千利休や柳宗悦はぽろっとできちゃったような不完全さに美を見ていますよね。西洋の文明は、欠けていることが罪であって完全なものを目指すためのエネルギーとして文明が起こっているのかなと思うと、日本的な自分にとってのリアリティは、欲望をゼロにして100%ありのままで満たされる過程にある。瞬間の美をどうつくるか。かなり意図的に、不完全さを肯定してつくっているところがある」と明かした。

 野村が、だじゃれを掬い上げたもう一つの理由に2006年の取手アートプロジェクトで、だじゃれで作品をつくっていた作家がいて、国際展開が難しいんじゃないのと思った自分に、なぜグローバル展開しなきゃいけないの?と自分でツッコンだ」記憶があった。

 中崎もまた、「翻訳できないもの」としてだじゃれに関心を持ったことがあるという。「話者の間で、音が同じだけで、あるものとあるものとのイメージがすごいスピードでつながったり変換したりする。その短くてシャレの効いた言葉を、違う言語に翻訳しようとすると大量の注釈が必要になる。ならば、英語中心に翻訳するより、西洋圏の文化も非西洋圏の文化もローカルの一地域で起こった出来事であって、この2000年の間にバラバラの文化がいろいろな場所で起こっていたんだという視点で、それぞれの背景の文脈ごと示せるような形にしなければならないんじゃないかと思って。そうした理由から、作品をかなり意図的に翻訳しにくいつくりにすることもあるんです」。

 山城はさらに尋ねた。「野村さんの現場に立ち会っていると、感情を揺さぶられるメロディがいっぱい出てきて、心が満たされたり、わくわくさせられたり、音楽家として人を動かす力がすごいあるんだと思うんですけど、プロジェクトや作品のなかで感情を動かすことをどう思っていますか?」。野田もまた、大学院生の頃に野村のワークショップに立ち会ったとき、「相手の懐に入って、その人の力を引き出すのを見たとき感動を覚えた」と振り返る。山城は「僕らの “空っぽの目的”みたいに、だじゃれや1010人を集めることはほんとの目的じゃないのでは?」と問いを重ねた。


野村誠「千住の1010人 in 2020年」に向けた練習風景


 野村は「口実ではなく、未知な音楽をまず自分が体験したいんですよ。こういうの聴きたいなあと妄想する、そこにいかに正直に行くかが大前提にあるので」と答えた。「僕の欲望のために1010人の人まで付き合わせて申し訳ないけど、あいつに付き合ったけど面白くなかったと言われないような曲を意地でも書こうと思う」。

 一人でつくっていると、自分が持つ美意識の価値観を超えられないので、自分の価値観をぶち壊してくれる、違う価値観を取り入れながらつくっていきたい。これは野村にもナデガタにも共通する。けれど野村は「そんなにとんでもない球は飛んでこなかったりもする」と吐露し、ナデガタもそれにうなずく。

 そういうときはどうするか。「飛んできた球をどう受け取ったらほんとに自分自身が面白いと思えるのか、それと向き合うのがむちゃくちゃ面白い。不完全でいいからいろいろアイデア出してもらって、僕はどう乗っかるか、不完全と不完全がぶつかりながらとんでもない方向に行くんだろうなという事態にずっと向き合っているんです」。



アートプロジェクトの語られにくい面白さ

 対談中、視聴者からチャットで寄せられたコメントの中に「批評や語られることについて、どのように捉えていますか?」という質問があった。批評を書かれたことがほとんどないというナデガタは、その理由として「プロジェクトにものすごく時間を費やすので評者が追いきれない」、「アウトプットされる作品にそのすべてをあえて詰め込んではいない」、「ホワイトキューブで、同じメディウムでその差異についての批評ができる絵画や彫刻と異なり、アートプロジェクトは土地も変われば、ダンスや陶芸や演劇などジャンルも変わり、美学的に批評するのは難しい」などを挙げた。

 アートプロジェクトは、外からだけでは見えないことがある。それで中に入ると今度は外からどう見えているかが見えなくなる。「でもたとえ1枚の絵画であっても、その文化圏内や時代の空気の中にいないとわからないことはあり、歴史上それがどういうものであったかは50年経たないとわからない。つまり作品全部を見る不可能性、そのこと自体を批評したいという意図でつくっているところもあるんです。不可能性ゆえに個人が見た感情などの普遍さもあるし、そうした矛盾とつきあいながら進むのかなと考えたりもしています」と中崎。


ナデガタ・インスタント・パーティー「Local Mixed Media Museum 2019年 

十和田市現代美術館「ウソから出た、まことー地域を超えていま生まれ出るアート」

写真=Kuniya Oyamada (c) Towada Art Center.


 ナデガタの3人は観客のノリをつくるのもうまいが、かなりオーソドックスなアート好きで、そこで起こっていることはかなりシリアスでもある。また、芸術祭やアートプロジェクトでは、どの作家も予算も時間もかけてつくっているが、それ自体への社会批評はあっても、個別の作品評はあまりないのが現状だ。

 野田は、「例えばもうあと数年で結成20年なのでその記念として、当時関わってくれたキュレーターなどが当事者としてのミクロな視点から、世界的な状況などもふまえたマクロな視点で、どんな言葉で語ってくれるのかやってみたい。アーティスト自身も積極的にアプローチしていかないといけない」と語った。

 「ナデガタ・インスタント・パーティーってわかりにくいよね」と笑う野村。「コンセプトでくくれないし、どんな文脈で見ようと思っても収まりが悪い。これだけわかりにくいことをやっていて活動し続けられているのがすごい」と賞賛する。「中崎君の言う“不完全さ”が記録されているとしたらめちゃめちゃ面白い。ナデガタの面白さを書けたら、だじゃれ音楽の面白さも書けると思う」。

 さて、コロナ禍で中止になった「千住の1010人 in 2020年」は「千住の1010人 from 2020年」として再始動している。この10月31日(土)には、10時間10分にわたるオンライン演奏を楽しむ参加型フェスティバル「世界だじゃれ音Line音楽祭 Day1」を開催した。今後もオンラインならではの音遊びや画面遊びなど、実験的な試みは続く。視点を変えて、どんなふうに1010人の音楽ができるか。そこにもまた数え切れないほどのたくさんの物語が生まれそうだ。


執筆=白坂由里




PROFILE

野村誠 |のむら まこと

「千住だじゃれ音楽祭」ディレクター、日本センチュリー交響楽団コミュニティプログラムディレクター、日本相撲聞芸術作曲家協議会理事。作曲という行為を根元まで掘り下げる。結びつかない音の組み合わせを創出し、出会うはずのない楽器が交わり、狭義の音楽に含まれないもの(だじゃれ、瓦、相撲など)の音楽と共鳴し、対立する不協和な思想を、共存させる世界の交響楽を実現すべく、日々現場で奮闘。現在は、オンラインでの双方向性のプロジェクトの可能性を実験中。CD「ノムラノピアノ」(とんつーレコード)、著書に「音楽の未来を作曲する」(晶文社)などがある。

https://makotonomura.hatenablog.com/

https://www.makotonomura.net/


Nadegata Instant Party (中崎 透+山城 大督+野田 智子)ナデガタ・インスタント・パーティー

2006年より活動開始。地域コミュニティにコミットし、その場所において最適な「口実」を立ち上げることから作品制作を始める。口実化した目的を達成するために、多くの参加者を巻き込みながら、ひとつの出来事を「現実」としてつくりあげていく。「口実」によって「現実」が変わっていくその過程をストーリー化、映像や演劇的手法、インスタレーションなどを組み合わせながら作品を展開している。

http://nadegatainstantparty.org/




※本記事は、2020年8月5日に開催されたオンライン・クロストークの内容をもとに執筆されました。

オンライン・クロストーク当日の動画は、以下でご視聴いただけます。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


アートアクセスあだち 音まち千住の縁

アーティスト・クロストーク《オンライン》#01

ひょうたんから駒が出るようなはなし

― まち、人を動かす、名づけられない「作品づくり」について ―


日 時:8月5日(水)19:30〜21:00頃

出 演:野村誠(作曲家/千住だじゃれ音楽祭ディレクター)、Nadegata Instant Party(アーティスト・コレクティヴ/中崎透・山城大督・野田智子)

解 説:熊倉純子(東京藝術大学教授/音まち千住の縁プロデューサー)







157回の閲覧0件のコメント

©2018 OtomachiAdachi All Rights Reserved.

This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now