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執筆者の写真音まち千住の縁

わたしたちの日常、あなたのストーリー フィリピーノたちが経験した日本の暮らし〈前編〉

更新日:2018年12月10日

足立区は東京23区の中でフィリピン人の在住者数が最も多い地域です。 異なる文化で育ち、日本へと暮らしを移した人々は、この社会の日常をどのように経験しているのでしょうか。 音まちでは秋の企画に向けて、梅島の教会に集うフィリピンにルーツを持つ人々にインタビューをおこない、彼らのライフストーリーを集めています。 その中から4つのテーマで語られたインタビューの一部を紹介します。 彼や彼女の日常が、「わたしたちの日常」になりますように。



アンさんの子育ての話


元ミス・セブ島のアンさんは23歳で来日。

日本人の夫との間に2人の息子を授かったことをきっかけに、

日本語の勉強を始め、学校の活動にも積極的に参加しました。

子どもを持つ親ならば必ず引き受けなければならないPTA。

アンさんにとってはー―!?



 子供がちっちゃいときは、ずっとPTAの役員だったの。自分の子供が一番だから、学校の役員やって、教会のほうでは何のお手伝いもしてなかったの。私、ノーと言えないから、ずーっと役員だったよ!もう、16年とか。新聞集める廃品回収とか。あと焼きそばとか食べ物つくるの、手伝ったよ。言葉とか大変だったけど、楽しかったよ!日本人の友達がいっぱいできたよ。ファミレスとかで、家のこととかみんなしゃべったけど、私は日本語わかんないから聞いてただけ。だから、食べるのに忙しくて!(笑)そうやってお母さんたちで集まったね。日本人の人たちみんな優しかったから、続けられたよ。フィリピン人同士といたらケンカばっかりだったから、日本人の友達いっぱいできてよかったよ。

 だから、うち、お客さんすごいよ。子供が幼稚園のときは働いてなかったから、息子の友達がいつも家に来て遊んでた。他のお母さんたちも「アンさん、うちの子供、よろしくね〜」って。10人も面倒見るんだよ!私、みんなの名前ひとりひとり知ってるんだよね。今でも、息子たちの友 達、道や駅で「松本くんのお母さん!」って、声かけてくれるの。前はかわいかったのに、顔変わってるから誰かわかんないんだけど、名前を聞くと思い出すね。嬉しいよね。

 あと、英語教えてたんだよ。息子が小学校1年生から6年生のあいだ、息子の小学校でね。学校から、「英語を喋るお母さん、ボランティアしませんか」って、手紙きたんだよね。子供と一緒に給食食べて。そのときパートもやってたけど、教える日はシフト休んだね。あるじゃん、いじめ。フィリピン人の友達の子供がいじめられてるって聞いてたけど、私はラッキーだったの。教えに行くとき、「外人だからってバカにしないでよ!」って、私、言うんだからね!(笑)だから、私の息子は友達がいっぱい。子供大事だから、頑張って教えに行ってたよ。



エルマルさん・ジュルファさん夫婦の家族の話


毎週見かける仲良し夫婦。

エルマルさんは仕事のために16歳で来日し、23歳でジュルファさんと結婚。

一人息子を授かり、日本で家庭を築いてきました。

話しかけると、次々ジョークが飛び出してきて笑いっぱなし!

家庭円満の秘訣を聞きました。


エルマルさん

「日本に暮らしていて、ひとつだけ嫌なことがあるとしたら、それは仕事だね。働きすぎて、家族との時間が持てない」


ジュルファさん

「月曜から土曜まで働くし、9時から夜遅くまで働くでしょ。うちに帰ったら、ご飯食べて、シャワーして、もう寝るだけじゃない。家族との時間が全然ないよ」


エルマルさん

「でもやっぱり、家にいても、それぞれゲームとか携帯やっちゃうね。だから、ときどき、テレビも携帯もゲームも禁止っていう日をつくってる。旅行に行ったら部屋にテレビがあるけど、それも見ちゃダメ」


ジュルファさん

「私がスマホでフェイスブック とか見ちゃうでしょ。そうすると、息子にダメって言われるの。みんなで注意し合うの。フィリピンでは家族が一番大事なの。家族と話す時間大事だよって、日本人に言いたいよ」


ジュルファさん

「息子はチーズが大好きで、地図も大好き!(笑)この子が地図を見て、ここに行きたいって決めるんだよ」


エルマルさん

「この前、親子3人で京都と奈良に行った。電車とバスでね。みんな初めてだったんだよ」


ジュルファさん

「奈良の大仏は大きくて古くてすごかった!」


 

【2016年8月発行号掲載】

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